tomoki478's blog

物流時代

中国市場におけるP&Gの浮き沈み



中国市場におけるP&Gの浮き沈み




慶応大学
商学部4年フ組
13期生
李 梅
  朱 琲クン

はじめに

1978年から、中国は変革期に入った。鄧小平によって打ち出された「改革・開放」政策を通して、国民の考え方から、市場構造まで、中国はいろんな面で、大きな変化を経験した。中国のこのような変化をチャンスと見なして、中国のよい勢いに乗って、中国に進出した外国企業はいっぱいあった。プロクター・アンド・ギャンブル(Procter & Gamble、P&G)はその中の一社であった。
1988年に、アメリカ合衆国オハイオ州シンシナティ市に本拠を置く、世界160カ国で50億人以上の消費者を相手にする一般消費財メーカーの雄であるプロクター・アンド・ギャンブル(Procter & Gamble)は、中国に進出して、初めての合資会社―広州宝潔(P&G)有限会社を設立した。1988年から1997年まで、P&Gは中国で一般消費財の帝国を築き上げた。統計によると、P&G中国は1991年からもうけはじめて、1991年から1997年まで、その売上は平均年率50%のペースで年々増え続けていた。1997年に、P&Gの中国市場における主要な営業収入は80億元で、中国進出して以来、最も高い業績であった。しかし、1998年に入ると、その売上は52.42億元まで下げ、1999年には最低の39.17億元まで下げ続いた。1998-2001年P&Gは危機に陥った、そのあと調整期に入った。2002年、75億元前後に戻った。2003年中国市場における売上の増加率は、P&Gの全世界平均増加率を大幅に超えた。2004年から、P&Gは中国市場において、ブランド拡張の時代を始めた。
1988年に中国進出して以来、P&Gはいろんな浮き沈みを経験したが、全世界に注目すべき業績を達成した。P&Gの中国市場における成功は明らかである。そして、どうしてP&Gは中国市場で成功できたのか。この質問を答えるために、まず、P&G の中国市場進出におけるリスクとチャンスを説明するためには、1980年代の中国の政治と経済状況及び日用品市場を紹介する。次に、P&Gの歴史-その沿革を紹介しようとする。その後に、P&Gの中国市場進出の事実、事業の拡大、直面した危機及び危機の解決を紹介する。最後に、P&Gの中国市場における成功の原因を分析する。


1980年代における中国の環境

経済政策の変化

 1978年12月に中国にとって画期的な会議――第11期三中全会が開かれた。この会議で、改革開放路線が採用され、従来のソビエト連邦型の計画経済は否定され、市場指向型の経済に大きく舵を切った。
1980年代になると、中国政府は中央集権の計画経済とインフレ・失業・財政赤字無しに生産性、生活水準、技術水準を増大させるための市場指向型の経済を組み合わせようとした。農村部では、中国政府は人民公社を解体し、農民に、農作の決定権を与えるという生産責任制を採用する農業改革を実行した。また、農村にある郷鎮企業といった非農業活動を勧め、より自発的な国有企業の経営を推奨し、市場競争を強め、中国大陸と外国企業との直接の接触を促進した。都市部では、外資の積極利用が奨励され、華僑や欧米資本を積極的に導入することで、資本や技術の移転など成し遂げる一方、企業の経営自主権の拡大などの経済改革が進んだ。
中国政府は1978年経済体制の改革を決定すると同時に、対外開放政策も計画した。1980年から順次、広東省の深圳、珠海、汕頭、福建省アモイ及び海南省に5箇所の経済特区を設置した。
1984年6月30日、中国の最高指導者である鄧小平は、次のことを言った。
「社会主義とは何か?そしてマルクス主義とは何か?我々は過去、このことについてあまりはっきりとさせてこなかった。マルクス主義は生産力を増加させることをことさら強調した。我々が言ってきたことは社会主義は共産主義の第一段階であること、そして、発展段階では能力によることから必要性によることにいたるまでの原則があてはまるということである。その原則は高度に発達した生産力と物質的豊かさを要求しいる。それゆえ社会主義の段階への基本的な課題は生産力を増加させることである。資本主義体制下の生産力よりも早く、大きく社会主義体制下での生産力が増加することによって、社会主義体制における優越性が示される。生産力が増加するにつれ、人民の物質的・文化的生活は絶えずに発展する。中華人民共和国建国後の我々の欠点は生産力を増加させることに気づかなかったのである。社会主義は貧困を根絶することを意味する。平等主義は社会主義ではなく、いわんや共産主義でもない。」
そして、1984年にはさらに大連、秦皇島、天津、煙台、青島、連雲港、南通、上海、寧波、温州、福州、広州、湛江、北海の14沿海都市を開放した。
1985年以降、長江デルタ、珠江デルタ、閩南トライアングル(アモイ泉州・漳州)、山東半島遼東半島、河北省、広西チワン族自治区を経済開放区として沿海経済開放地帯を形成した。
1990年、中国政府は上海浦東新区の開発と開放を決定し、一連の長江沿岸都市の開放をさらに進め、浦東新区を竜頭とする長江開放地帯を形成した。1992年以降は辺境都市や内陸のすべての省都と自治区首府を開放した。さらに一連の年に15箇所の保税区、49箇所の国家級経済技術開発区と53箇所のハイテク技術産業開発区を設定している。
このように中国は沿海、沿江、沿辺、内陸地区を結合して全方位、多次元、広領域の対外開放構造を形成している。対外開放地区ではさまざまな優遇政策を実施し外向型の経済、輸出拡大、先進技術導入などの面で大きな役割を果たした。

改革開放初期の経済実態

改革開放政策によって、1980年代の間、経済改革により農業及び工業生産高が毎年約10%で成長した。農村の実質所得は2倍になった。とりわけ香港周辺の沿岸部である広東省や台湾の対岸にある福建省では、外国資本が国内向け及び輸出向けの製品の生産増加に拍車がかかり、工業生産高が飛躍的に伸びた。中国は穀物を自給できるようになった。農村工業は農業の生産高の23%を占め、農村における過剰労働力の吸収に役立った。様々な軽工業の品々や消費財が増加した。
中国経済の発展につれて、まず貧困人口は大きく減少した。表1に示されているように、改革開放政策が打ち出された1978年当時、100元の貧困ラインのもとでは、農村地域では当時の農村総人口の30.7%をも占める2億5000万人の衣食までもまだ満ち足りられていない貧困人口が分布されていた。80年代初めのとき、生産責任制など農業改革の実行によって、農村の貧困人口は著しく減らされた。1985年に、一人当たり年平均収入206元を貧困ラインと設定された。当時、貧困ライン以下の貧困人口は1億2500万人であった。政府と全社会の努力を通して、1992年になると、317元の貧困ライン以下の貧困人口は8000万人まで減少した。

表1.農村人口の貧困状況
貧困ライン(元/人) 貧困人口(万人) 貧困発生率(%)
1978年 100 25000 30.7
1985年 206 12500 14.8
1992年 317 8000 8.8
出所):ショーチャイナネット、中国経済チャンネル、《百姓经济生活的十大变化》(「国民経済生活の十大変化」)

収入水準や生活水準をはかる重要な指標として、ある国や地域のエンゲル係数が挙げられる。エンゲル係数というのは、家計の消費支出に占める飲食費のパーセントのことである。国際連合食糧農業機関(FAO)はエンゲル係数で生活水準の発展段階を判定する一般基準を出した。それによると、60%以上は貧困、50%-60%は衣食が満ち足りる、40%-50%はやや裕福、40%以下は裕福。
図1に示されているように、改革開放初期には、中国都市部(城鎮)住民のエンゲル係数は57.5%(1978年)で、農村部住民のエンゲル係数は67.7%(1980年)であった。1990年になると、それぞれ58.8%、54.2%まで下げた。さらに、2003年には、都市部のほうは37.1%まで下げて、すでに裕福の段階に入った。農村部も45.6%まで下げて、やや裕福の段階に入った。

図1.都市部と農村部住民の家庭エンゲル係数の変化

出所):ショーチャイナネット、中国経済チャンネル、《百姓经济生活的十大变化》(「国民経済生活の十大変化」)

改革開放政策を実施して以来、中国国民の一人当たり年平均収入は増えつつある。表2に示されているように、1981年と比べると、都市部であれ、農村部であれ、1988年の国民の一人当たり年平均収入はほぼ2.5倍になったことが分かるのであろう。

表2.改革開放以来中国国民一人当たり年平均収入の変化
都市部(城鎮)住民一人当たり年平均可処分所得(元) 農民一人当たり年平均収入(元)
1981年 476 213
1988年 1119 545
出所):「中華人民共和国商業年鑑」

収入の増加によって、国民の購買力が増大しつつある、また、消費者として、特に若い世代の消費理念は大いに変わった。国内の商品だけでは消費者のニーズには満足できなくなった。彼らは、新しくて珍しいものに好奇心を持ち、ブランド品などを求めはじめるようになった。
一方、この時期の中国の日用品市場では、日用品のメーカーが少なくて、消費者は、質がよくない、包装が荒い、個性が欠ける、種類が限られているいくつかの商品から選ぶしかできなかった。そのときの中国日用品市場は空白だと言っても過言ではない。
1980年代における中国の政治と経済環境は、外国企業の中国進出にとってはよいチャンスであろう。P&Gは中国の大きい市場を発見して、中国に進出しようと決めた。


プロクター・アンド・ギャンブル(Procter & Gamble、P&G

 プロクター・アンド・ギャンブルアメリカ合衆国オハイオ州シンシナティ市に本拠を置く一般消費財メーカーで、フォーチュン500社の一つとして、マーケティングの世界では名高い。
 1837年、石鹸業者のジェームズ・ギャンブルとローソク業者のウィリアム・プロクターが共同出資で設立した。その歴史は五つの段階に分けられると思う。

1837-1890 提携の時代
 1837年は企業家にとって困難な年であった。シンシナティの市場は繁栄していたが、米国は経済恐慌に襲われ、全国で数百の銀行が閉鎖した。米国の国自体が破産するのではなかろうかという懸念も広がっていた。
 このような経済環境にもかかわらず、プロクター・アンド・ギャンブルは新規事業を打ち上げ、国内を揺さぶっていた経済パニックを懸念せず、むしろ同市内の石鹸とローソク製造業者14社との競合を懸念していた。経済の嵐の真っ只中でのこのP&Gの冷静さは、将来を展望した当社の事業への取り組み方、すなわち将来のP&Gの社是となった取り組み方を反映している。
 その後、利益分配活動の国内での先駆者となると同時に、同業者の企業として始めて研究施設に投資した。駆け出しの若者であったプロクターとギャンブルの事業提携は、1890年には数百万ドル規模の企業へと成長した。それでも、P&Gは、将来に目を向け事業展開を続けていた。

1890-1945 革新を基盤にした事業

 1890年のP&Gはアイボリーを含めた30種の石鹸を販売していた。完全カラー印刷の広告を全国的な雑誌に掲載することも含めた革新的な宣伝広告手法が起爆剤となり、消費者のP&Gの石鹸に対する需要は継続的に成長していた。この需要の成長に応えるために、生産拠点をシンシナティ以外の場所に求め、カンサス州カンサス市の工場を初めとし、国外拠点のカナダのオンタリオにも工場を建設した。これらの各工場で操業が始まると、次々と新しい工場の建設がスタートした。
 研究施設も工場に負けないぐらいの忙しさで仕事した。革新的な新商品が次々と市場に導入された。ここで一番大事なのは、これらの革新的な研究開発活動が、単なる研究開発の目的のみならず、P&Gの先駆者的な取り組み方による市場調査を経て、徹底的な消費者ニーズの把握に先導されてきたことであろう。
 これらの商品は、ラジオ番組「ソープ・オペラ(石鹸ドラマ)」、製品サンプリング活動、販促割り増し金等を含めた革新的な手法で販売が促進された。
 P&Gは1945年には商約3.5億ドル規模の会社となり、その商品は米国とカナダ全土にわたって有名になった。また、P&Gは海外における事業開発の第一歩として、イギリスのトーマス&ヘッドレー社を回収した。108年間実績を経て、P&Gは飛躍的な成長に向けて基盤を固めた。

1945-1980 新大陸と飛躍的な成長
 P&Gはアイボリー以降の最も重要な新商品とされたタイドを、1946年に市場に出した。タイドは市場における他社の商品よりはるかに優秀であったため、短時間で大成功を収めた。この大成功が、一連の新商品の導入だけではなく、世界中の新市場の開発を含めた当社の急速な成長期の資金源として貢献した。
 タイド導入後の数年間に、P&Gは数々の新商品を導入した。歯磨商品、トイレットペッパーと紙タオル事業、使い捨てのおむつのカテゴリーを市場に導入した。さらに、当社は既存事業を強化し、新しく食料品と飲料品のカテゴリーへ事業を拡大した。
 これにもまして大切なことは、事業の国際化に焦点を絞っていくことであった。新地域の市場で事業を成功させるためには、これらの国々のホームグラウンドでの活動が必要であることを確信したP&Gは、立上げ事業をメキシコでスタートさせ、続いてヨーロッパ、日本という順で発足させていた。P&Gは1980年には、世界23ヶ国での年商が約110億ドルの規模になり、1945年度の35倍以上の収入で事業を展開していた。

1980-1996 グローバル企業へと発展
 設立150周年が近づいた1980年になると、P&Gは当社の歴史上かつて見られなかった劇的な成長時期を迎えた。小規模な提携関係から中西部で始まった企業は、国内有数の多国籍大企業に成長した。この劇的な時期に、二つの重要な変化があった。
 第一に、1982年のノーウィック・イートン・ファーマステイカルズ買収、1985年のリチャードソン・ビックス買収により、ヘルスケア業界の新規事業者として台頭したことである。また80年代後半と90年代前半のノクセル、マックスファクター、エレンべトリックス等の買収により、新しい化粧品・香水事業に参入した。これらの買収は、当社のグローバル化計画に拍車をかけた。特にリチャードソン・ビックスおよびマックスファクターの買収は、P&Gの国際的な存在価値を劇的に増大した。この新しいグローバルな強みを基盤に研究施設の中心拠点を米国、ヨーロッパ、日本、ラテンアメリカに設立して、全世界の研究開発のネットワークを確立し、世界的なブランド製品となったパンパース、オールウエイズ/ウイスパー、パンティーヌ・プロV、タイド、アリエール、クレスト、ビックス、オイル・オブ・オレ等の商品のリーダー的地位を築き上げた。
 過去数年んびわたるP&Gの革新は、タイドがカテゴリーリーダーの地位を維持することと、P&G社内の単独最大規模ブランドを維持するのに貢献した。現在のP&Gは、真の意味でグローバルな会社である。1980年以降の当社ブランドを提供する全世界の消費者数は4倍、50億人となった。現在P&Gは、70ヶ国以上の国で事業を展開し、150ヶ国以上の国で当社の商品を販売し、世界最大規模の消費財メーカー最優良企業の一つとなった。
1997-現在 将来の展望
 P&Gは高品質のファブリック及びホームケア、ベビーケア、生理用品、ティシュー及びタオル、ビューティケア、ヘルスケア、食品及び飲料等の商品の開発、販売、マーケティングリーダーとして認識されている。
 P&Gは全世界150ヶ国以上で、約50億人の消費者に、およそ250のブランドを提供している。そのブランドにはパンパース、タイド、アリエール、オールウエイズ、ウイスパー、パンティーヌ、バウンティー、プリングルズ、フォルジャーズ、チャーミン、ダウニー、レナー、アイアムズ、オレ、クレスト、ビックス、アクトネルなどがある。
また、P&Gは全世界に11万人以上の社員を雇用し、経済成長の面でも健全性の面でも世界各地でその底力を発揮している。
 一世紀以上前のウイリアム・プロクターとジェームス・ギャンブルの精神と同様に、プロクター・アンド・ギャンブルの全社員は将来を展望している。これは世界の消費者に最高の品質と価値ある商品を継続的に提供していくことを意味する。
 

P&Gの中国進出及び中国市場における浮き沈み


 P&Gはグローバル企業へと発展しようとする1980年代初めの頃、中国に関心を持ち始めた。1985年に、現役中東及びアフリカ地域市場調査部の副総裁である呉凯(Berenike Ullmann)は中国で市場調査を行い始めた。中国消費者需要の調査を通して、P&Gはヘアケア商品(シャンプHead & Shoulder)を中国市場進出の初めの商品として決定した。
 1988年8月に、P&Gは広州で中国の初めての合資会社―広州宝潔有限会社を設立した。それからP&Gは中国での事業展開を始めた。宝潔中国の本部は広州にあって、北京、上海、成都、天津、東莞、南平などで子会社や工場がある。社員数は六千三百人を超え、中国における投資総額は十億ドルを超えた。
 P&Gの中国での発展は1988-1998の成長期、1999-2001のピンチ期、2002-現在の回復期の三つの段階に分けられると思う。

1988-1997年
 この時期においては、P&Gは中国で日用品の帝国を築き上げた。しかも、日用品王国の玉座に登った。

表3.1988-1997年 P&G中国の主な出来事(営業)
西暦 主な出来事
1988年8月18日 広州宝潔有限会社が設立された

10月27日 第一回目の製品シャンプHead & Shoulderが生産された。四ヶ月だけで、Head & Should というブランドは99%の広州消費者に知られるようになった。
1989年6月 初めて20名の新卒大学生を採用した
10月 新商品Head & Should 2 in 1を出した
12月 黄埔工場を起工した
以上の三つの決定は、P&Gの中国未来への確信を表したし、中国においての長期の発展に基礎を定めた。
1990年9月 新しい合資企業―広州宝潔ペッパー用品有限会社を設立した
1991年初め頃 黄埔工場での生産を始めた
7月と8月 北京と上海で子会社を設立して、全国へと拡張しようとするシグナルとなった。
10月 生理用品ウィスパーを販売し始めた。
1992年3月 シャンプブランドパンテーンを出した。広州、北京、上海におけるシャンプ事業のリードな地位を定めた。
8月8日 三つ目の合資企業―広州宝潔洗濯用品有限会社を設立した。
洗濯用品を生産するようになった。
11月 石鹸ブランドSafeguardを出した。
1993年 宝潔ははじめて中国軽工業業界において、納税額一位の企業になったし、この地位を今まで保ってきた。
2月 広州で洗濯用洗剤アリエールを出して、洗濯用洗剤市場に進出しようとした。
10月 宝潔(中国)有限会社を設立した。
12月 北京と成都で洗濯用洗剤合資企業―北京パンダ宝潔洗濯用用品有限会社と成都宝潔有限会社、天津で個人衛生用品の合資企業―天津宝潔有限会社を設立した。
1994年3月 三つ目の洗濯用洗剤を生産する合資企業―広州浪奇宝潔有限会社が設立され、宝潔は全国的な一般消費財を生産する会社となった。
8月 天津で新しい洗濯用洗剤ブランドタイドを出した。
1995年2月 世界一流の研究開発設備を持つ黄埔技術センターを使用し始めた。
9月 広州宝潔オーラルケア用品有限会社が設立された。
1996年5月 宝潔西青工場の定礎式は天津で行われた。
1997年 テスト市場で三つの世界中有名なブランドを出した:パンパース(5月)、プリングルズ(7月)、ヴィダルサスーン(9月)
12月 OLAY 2 in 1 ボディウォッシュと化粧石鹸は武漢で発売された。
出所):P&G中国ホームページ

 P&Gは中国進出して以来の3年目、1991年からもうけはじめて、1991年から1997年まで、その売上は平均年率50%のペースで年々増え続けていた。1997年に、P&Gの中国市場における主要な営業収入は80億元で、中国進出して以来、最も高い業績であった。








図2.1997年の中国シャンプ市場のシェア分布

出所):中国计量学院零点调查协会(中国計量学院零点調査協会)、《案例分析:宝洁 日用品帝国的沉与浮》(「ケーススダディー:宝潔 日用品帝国の浮き沈み」)

 以上の図2に示されているように、上位三位を占める三つのブランド、REJOICE、PANTENE、Head & Shoulderは全てP&Gの製品である。1997年の時点では、P&Gの三つのブランドは中国シャンプ市場の半分以上(54.03%)を占めてた。シャンプ市場だけではなく、1992年に中国で発売された石鹸ブランドSafeguardは、ボスであったユニリーバ(UNILEVER)の石鹸ブランドラックス(LUX)の地位を取って変わった。

1998―2001年
 1998年になると、10年の黄金時期を経てきたP&Gは、はじめてその業績は下がりはじまる。1998年-1999年、P&Gの中国における市場占有率は下がりつつある。その中、シャンプの市場占有率は60%から40%まで下がった。全体の売上高は39.17億元で、前年度に比べると、20%-30%下がった。

図3.1999年―2003年P&G中国の主要な営業収入

出所):中国计量学院零点调查协会(中国計量学院零点調査協会)、《案例分析:宝洁 日用品帝国的沉与浮》(「ケーススダディー:宝潔 日用品帝国の浮き沈み」)

 どうして1998年から、P&G中国は中国市場において不況になったのであろうか。その理由は、この段階では、P&G中国は多くの多国籍企業および国内の実力企業に攻められたからである。
 P&Gの製品カテゴリの幅は広くて、中国では実力相当の企業はないが、各細分市場においては、ライバルが多くて、競争は激しい。

表4.各分野におけるP&G中国と競争相手の製品一覧
分野 P&G製品 他ブランド製品

ヘアケア REJOICE、PANTENE、Head & Shoulder、VS、CLAIROL、WELLA UNILEVER製品:LUX、HAZELINE
その他製品:SLEX、S-DEW、DIHUAZHIXIU、CAILE、Sifone、Repand

オーラルケア用品
Crest、Oral-B、 UNILEVER製品:Signal
その他製品:Zhonghua、Colgate、HEI、Liangmianzhen、Lantianliubizhi、Lengsuanling


個人衛生用品

Safeguard UNILEVER製品:LUX、Dove、HAZELINE
その他製品:Cnice,SOFFTTO、CLEANCLEAR、MANTING、LONGLIQI、LIUSHEN


ファブリック&ホームケア
Tide、Lenor、ARIEL UNILEVER製品:OMO、Comfort
その他製品:DIAOPAI、Keon、Liby、BAIMAO


スキンケア・コスメティックス

OLAY、SK-Ⅱ、Illume UNILEVER製品:PONDS
L’OREAL製品:L’OREAL PARIS、GARNIER、MAYBELLINE、BIOTHERM、HR、shu uemura、VICHY等
その他製品:TJOY、SOFTTO、Liangzhuang、Manting、資生堂

シェーバー
Gillette、BRAUN kai beauty care、Prince、Bigwig、Schick、PHILIPS、Panasonic、HITACHI、SANYO、FLYCO
紙製品
Pampers HUGGIES、Merries、Goo.N、
Whisper Sofy、ABC、Stayfree、LAURIER

バッテリ用品
DURACELI Samsung、Panasonic、KODAKOLYMPUSRICOHNikon、SONY、Canon、CASIO、FUJIFILM
スナック Pringles Lay’s、Kebike、Oishi、Panpan

 上の表4に示されているように、P&Gは各細分市場では、多数のブランドを出しているが、全ての細分市場においては、勝っているわけではない。
ヘアケア、オーラルケア用品、個人衛生用品、ファブリック&ホームケア分野においては、ユニリーバは最も強いライバルである。
ヘアケア市場では、この時期のP&GはSLEXとHAZELINEの挟み撃ちにされた。特にSLEX、「農村から都市を包囲する」戦略で、P&Gとの真正面な戦いを避けることを通して、1999年に全国的なブランドとなった。2000年になると、その販売量はREJOICEに次いで、P&Gの天下を脅かしていた。
洗濯用品市場においては、この時期のP&GはCniceとQiqiangの強い攻撃を受けた。特にCnice、P&Gの「高価ゲーム」に対して、「只买对的,不买贵的(正しいものだけ買う、高いものを買わない)」というスローガンを出して、中、下ランクの市場に注目するようにした。この戦略の元で、CniceはDiaopaiというブランドを出して、広告と低価格で、石鹸業界のリーダーとなった。その後すぐに洗濯用洗剤市場に進出して、2001年になると、洗濯用洗剤89万トンの年生産量で一位になった。
スキンケア・コスメティックス分野においては、P&Gの最も強いライバルはユニリーバではなく、L’OREALである。この分野では、P&Gは完全に負けている。OLAY、SK-Ⅱ、IllumeのP&Gの三つのブランドは中国で知名度が高いが、中国のスキンケア・コスメティックス市場の上、中ランクの市場しか占めていない。L’Orealの12(1996年)のブランドは上、中、下の全てのランクの市場に進出している。
P&Gと中国日用品市場を分割したいのはユニリーバやL’Orealなどの多国籍企業だけではなく、中国国内ブランドを加えて、この時期のP&Gは中国で激しい競争に陥って、営業収入は急激に下がった。
苦境に陥ったもう一つの理由はP&G自身である。P&Gの「高品質高価格」の戦略は、国内企業に巨大な市場成長スペースを残した。国内企業はP&Gのこの弱みを握って、中、下ランク市場をターゲットとして、「低コスト、農村で都市を取り囲む」戦略で、農村市場を占有したし、絶えずに大・中都市を拠点としたP&Gに攻撃することを通して、危機に陥らせた。
1999年のP&Gのグローバル戦略の変更も中国市場での失敗に大きな影響を与えた。この都市のP&Gのグローバル戦略は「より大規模な変革を行おう」で、中国市場に示されたのは、大売場に進出する戦略をとったので、大きな農村市場と小売商を失ったし、競争相手に巨大な市場空白を残した。

表5.1998-2001年P&G中国の主な出来事(営業)
西暦 主な出来事
1998年4月15日 P&G北京技術センター創立
    7月 ヘアケアブランドVSの登場、ポテトチップスプリングルズと歯磨Crestの登場
8月6日 天津西青工場生産開始
    9月 上海で化粧品SK-Ⅱの登場
10月26日 新しい技術を使用したタイド第三代の登場、上海で乳幼児用紙おむつパンパースの登場
1999年6月 OLAY Protective Renewal Lotionの登場
    8月 PANTENEコンディショナー、OLAY Protective Renewal洗顔フォーム、OLAY 2 in 1ボディーワッシュ、Whisperさらふわスリームシリーズの登場
    9月 北京でクレストオーラル研究院の落成
10月 パンパースの発売
    11月 SK-Ⅱの六つの新製品の登場、VSスタイルフォームの登場
2000年3月 天津と北京でのOLAYメークアップの発売、Whisper携帯用シリーズの登場、REJOICEツルドクダミ黒髪シャンプの登場、ヘアケア用品ASCENDの発売
    6月 Crest新商品の登場、Febrezeと速易モップの登場
    7月 VSヘアスタイルの三つの新商品の登場
8月 ピザ味プリングルズポテトチップスの登場、Whisper Youngの登場
    9月 OLAY Total Effectsクリームの登場
    10月 新しくなったHead &Shoulderの発売
出所):P&G中国ホームページ

2002年―今まで
 2001年6月に、羅宏斐はP&G中国のCEOに就任した。P&G中国は危機から救われるようになりつつある。まず、今までの広州、香港、台湾三つの中心の局面を変えて、広州は中国地区(大中華区)の本部にされて、直接本社に報告するように決められた。次には、卸売商、小売商と仲良くするようにした。本土化戦略の元で、P&G中国は反撃し始めるようにした。2000年から、P&G中国は農村市場の開拓に力を入れ始めた。次々と「農村端末ネットワーク建設」プロジェクト、「農村食料品マーケット展示計画」などを行った。2003年になると、農村市場を全面的に進出するようにした。
 コストを有効的にコントロールしたP&Gは、中国国内企業と価格戦争をし始めた。2003年、P&G所属ブランドOLAY、Safeguard、ZESTはそれぞれに20%、25%、30%と値下がりした。洗濯用洗剤市場においては、失地を回復するためには、中国本土ブランドDiaopai、Qiqiangに矛先を向けて、タイド(650g)は2002年の5.9元から2004年の3.5元まで値下がりされた。さらに、1.9元の超低価格を出した。このような低価格戦略を通して、タイドの市場占有率はうなぎのぼりに上昇した。中国商業連合会情報部の資料によると、2007年1-8月タイドの市場占有率は29.74%であって、二番名のDiaopaiより、10%以上高かった。次には、P&Gはシャンプ市場の価格戦争をも始めた。2003年末、P&Gは一部の地域で9.9元のREJOICEシャンプ(200ML、市場価格17元)を販売することを試してみた。この時期のP&Gは中・下ランクの市場に浸透するために、低価格戦略だけではなく、さまざまなキャンペーン活動を行った。
 この時期において、P&Gは中国での投資をいっそう増やした。2004年5月12日に、P&Gは18億ドルの高価格で和記黄埔有限会社の有している広州宝潔の20%の株を買収して、100パーセント外資企業となった。その後、中国の最大のマス・ミディアム―中央テレビチャンネルに目を向けた。2004年、2005年落札3.8億元で連続二年中央テレビチャンネル「ゴールドタイム」コマーシャル入札者の一位となった。P&Gは中国でブランド拡張の時代を始めた。

表6.2002-2008年P&G中国の主な出来事(営業)
西暦 主な出来事
2003年 和記黄埔の有する広州宝潔の株式を買収して、100パーセント外資企業となった。
『フォーチュン』中国版「最も賞賛を受けた雇主」上位三位に入って、その位置をいままで保ってきた。
2004年 P&G中国(大中華区)本部を広州中泰広場に移転
2007年 P&G北京技術センター新住所定礎
出所):P&G中国ホームページ

P&Gの反撃は著しい効果を収めた。2002年、2003年売上の成長率は25%を超え、利潤は平均年率140%のスピードで増加した。その三大ブランド―REJOICE、Head & Shoulder、PANTENEは失地を回復して、再びシャンプ市場の半分以上を占めるようになった。2003年、中国は全世界におけるP&Gの六番目大きい市場となった。その業績は150億元近いであった。

2005年度 中国3,000店舗のスーパーマーケットにおけるシャンプー売上高
表7
北京
NO. ブランド名 ブランド
英文表示 企業名 売上(万元) シェア
1 飘柔 REJOICE 宝洁(中国)有限公司/P&G \21326.86 22.4
2 海飞丝 HEAD& shoulders 宝洁(中国)有限公司/P&G \16655.32 17.5
3 潘婷 PANTENE 宝洁(中国)有限公司/P&G \12432.61 13.1
4 舒蕾 SLEX 丝宝集团/C-BONS Group \ 7706.05 8.1
5 力士 LUX 联合利华中国/UNILEVER China \ 6395.99 6.7
6 夏士莲 HAZELINE 联合利华中国/UNILEVER China \ 5141.05 5.4
7 伊卡璐 CLAIROL 宝洁(中国)有限公司/P&G \ 4278.89 4.5
8 沙宣 SASSOON 宝洁(中国)有限公司/P&G \ 4091.96 4.3
9 风影 S-DEW 丝宝集团/C-BONS Group \ 2212.94 2.3
10 索芙特 SOFTTO 索芙特股份有限公司/SOFTTO \ 1499.43 1.6
合 計 \95021.77 100.0

表8
上海
NO. ブランド名 ブランド
英文表示 企業名 売上(万元) シェア
1 飘柔 REJOICE 宝洁(中国)有限公司/P&G \19220.42 19.3
2 海飞丝 HEAD& shoulders 宝洁(中国)有限公司/P&G \18637.19 18.7
3 潘婷 PANTENE 宝洁(中国)有限公司/P&G \13832.25 13.9
4 夏士莲 HAZELINE 联合利华中国/UNILEVER China \ 6379.37 6.4
5 沙宣 SASSOON 宝洁(中国)有限公司/P&G \ 5486.77 5.5
6 郎力福 LONGLIFE 苏州郎力福保健品有限公司/Longlifu Health Food \ 5301.41 5.3
7 力士 LUX 联合利华中国/UNILEVER China \ 4979.95 5.0
8 伊卡璐 CLAIROL 宝洁(中国)有限公司/P&G \ 4664.67 4.7
9 风影 S-DEW 丝宝集团/C-BONS Group \ 4552.05 4.6
10 舒蕾 SLEX 丝宝集团/C-BONS Group \ 4375.51 4.4
合 計 \99578.56 100.0
出所):日本能率協会総合研究・MDB「中国POSデータサービス」上位10ブランドのデータより

 日用品のような代替されやすくて、消費者にとって選択の多い端末市場では、その国の実際の市場状況を見落としたら、強力なブランドを有しても、後で参入した企業に付け込まれやすいであろう。1988年にP&Gは中国に進出して以来、1998-2001年のピンチ期を経験したが、そのあとのより大きな成功をもたらしたのであろう。P&Gは中国市場を把握したし、中国で世界に注目されるべき業績を達成した。


P&Gの中国市場における成功の要因

1. 中国進出の時点と場所の選択

中国の経済発展においては、地域格差が存在している。広東省は、改革開放政策の最前線で、経済発展が発達している場所である。P&Gは中国に進出した1988年の時点では、広東省は改革開放以来の四回目の経済発展周期を迎えてきた。そのGDPは底をついた1990年から上がり始まった。1992年、1993年に22.1%と22.3%の成長率でピークを達した。90年代以降、中国東部の市場化レベルの向上につれて、非国有経済の発展は著しくて、特に対外開放地域の拡大によって、東部の経済発展の原動力は中部、西部より強かったのであろう。GDPの成長率から見ると、東部は中部、西部よりそれぞれ2.2と2.8ポイント高かった。収入の差から見ると、経済発展の傾向と殆ど一緒である。都市部住民の一人当たり可処分所得であれ、農村部住民の一人当たり純収入であれ、中・西部より東部のほうが明らかに高い。経済指標の分析から見ると、経済発展の総量でもスピードでも、東部は中・西部より優れていることが分かるのであろう。P&Gは中国経済発展の格差を把握して、広東省の経済開放性及び購買力を考慮して、広東省を拠点として中国市場に進出することは、その成功要因の一つだと言えるのであろう。

表9.東・中・西部地域の区分
東部 北京市、天津市、河北省、遼寧省上海市江蘇省、浙江省、福建省山東省、広東省、広西省、海南省
中部 山西省内モンゴル自治区吉林省黒竜江省安徽省江西省河南省湖北省湖南省
西部 重慶市、四川省、貴州省、雲南省チベット自治区、陕西省、甘肃省、寧夏自治区、青海省、新疆自治区
出所):中華人民共和国国家統計局「統計知識」

表10.東・中・西部地域の国内総生産に占めるウェートの変化(%)
1980年 1985年 1990年 1995年 ウェートの増減
東部 52.3 52.9 53.8 58.3 +6.0
中部 31.2 31.1 29.8 27.6 -3.6
西部 16.5 16.0 16.4 14.1 -2.4
出所):中国计量学院零点调查协会(中国計量学院零点調査協会)、《案例分析:宝洁 日用品帝国的沉与浮》(「ケーススダディー:宝潔 日用品帝国の浮き沈み」)

2.マーケティング戦略

 1)消費者至上の経営理念
   P&Gの成功は、「消費者至上」の理念とは密接にかかわっている。この理念を全てのところまで着実にさせるために、P&Gはいろんな工夫をしてきた。毎年、P&Gの製品は全世界160以上の国、地区で消費者と接触している。消費者によりよい製品やサービスを提供するために、1934年にアメリカで消費者研究機構を設立して、アメリカ工業業界で真っ先に科学分析方法で消費者の需要を分析する企業となった。20世紀70年代になると、P&Gはフリーダイアルで消費者とコミュニケーションをとるはじめての企業であった。今まで、P&Gはさまざまなツールと技術で全世界50億以上の消費者と交流している。
   中国でのP&Gの「消費者至上」の理念は、単に消費者のニーズを満足することに表しているだけではなく、より重要なのは、消費者のニーズを育てる、導くことである。P&Gは広告やキャンペーンを通して、中国の消費者にどうやって髪を洗うことや、どうやって歯を磨くことを教えた。経済的利益を得た同時に、かつてない長期的な社会的効果ももたらした。髪を洗う新しい概念を提起することから常に髪を洗うように導くことまで、正しく歯を磨くことから正しく歯磨を選ぶことまで、まめに手を洗うことから殺菌することまで、中国消費者の生存意識、生活習慣の変化をもたらしたし、ヘルシーな生活スタイル、新しい健康理念や健康用品の全てを消費者に送る。消費者としては受け入れやすいし、ロイヤルティを高めることもできた。

 2)ブランド戦略―多数のブランドで市場を占有する
   中国におけるP&Gのマーケティング戦略としては、ブランドの価値創造に注目することが挙げられる。経済発展によって、中国国民の生活水準が大幅に高められて、人々の好みが多様になっていて、ブランドを追求するようになった。表にも示されているように、P&Gは中国消費者の異なる好みに合わせて、そのブランドイメージを高めるだけではなく、同じ製品でも機能の異なる多数のブランドを出すことを通して、高い市場占有率を獲得して、中国におけるP&Gの速い発展を支えてきた。洗濯用洗剤を例として、P&Gは、消費者の好みによって、全世界で機能の異なる九つのブランドを出したが、中国でTideとARIELの二つのブランドしか出していない。顧客ロイヤルティが低い、消費者好み差異が大きいシャンプ市場では、消費者の異なるニーズを満足させるために、REJOICE、PANTENE、Head & Shoulder、VS、CLAIROLの五つのブランドを出した。同じREJOICEでも、異なる機能の五つのパッケージがある。

 3)製品の命名
   P&Gはその製品への命名に工夫している。適切で絶妙な製品名は、消費者の製品への認知の抵抗を減らすことができるし、消費者の美しい連想を呼び起こすことができる。また、消費者の製品への親和力及び依頼感を増進することもできる。それで、製品の販売促進費用を減らすことが実現できるようになる。
   中国市場に販売されている全てのP&G製品は、意味のある美しい名前を有している。P&Gは、英語単語の精選と組み合わせて、中国語の製品名と英語とは、意味も発音もぴったり当てはまるように、製品の特徴と描き出そうとするブランドイメージを表すことができるようにその製品を命名する。Pampers (パンパース、帮宝适 bangbaoshi)、Safeguard(舒肤佳shufujia)そのよい例である。中国語では、「帮」は手助けするの意味で、「宝」は赤ちゃんのことで、「适」は心地よいの意味で、「帮宝适」を日本語に翻訳すると、「赤ちゃんを心地よくさせるための手助けをする」となる。「舒肤佳」も同じように、「舒」は心地よいの意味で、「肤」は肌、皮膚のことで、「佳」はよいの意味で、あわせると、「肌をよくする」「気分をよくする」の意味合いである。

  

 4)広告宣伝
P&Gの中国での成功に、広告宣伝は一つのポイントである。毎年P&Gの広告宣伝に使われる費用はその売上総額の1/8を占める。その広告宣伝の成功は以下のように分析することができる。
  
  セグメンテーション
   P&Gは広範囲で「USP理論」を使ってきた。広告の基本理論である「USP理論」は、「ユニーク・セリング・プロポジション」の略で、その製品にしかないウリを提供することで、短期間で市場から差別化されるための具体的な手段である。中国でのP&Gの製品の広告の中に、この理論は徹底的に使われてきた。例えば、REJOICEの「シャンプ・コンディションナー 2 in 1」、Head & Shoulderの「ふけ取り」、PANTENEの「髪を守る専門家」、VSの「美髪専門用品」、Safeguardの「殺菌及び長時間にばい菌の再生を抑える」、ARIELの「汚れすっきり」など、全ての広告は消費者に一つの重要な利益点を承諾して、消費者の認めと信頼を得る。日用清潔用品に対しては、消費者が最も関心を持つのはその効果である。消費者の心理に合わせるために、USP理論を使うのは有効であろう。
   
利益訴求と感情訴求
   利益訴求とは、製品の機能から概念を演繹する。感情訴求とは、消費者との感情の交流から概念演繹する。利益訴求としては、CRESTは中国全国歯病予防指導組と「根元から虫歯を予防する」という歯の病気を予防する、歯を守る理念を言い出したこと、Safeguadは中華医学研究会と「健康、殺菌、皮膚を守る」理念を言い出したこと、シャンプの「ふけ取り、健康、スルスル」の理念を言い出したことなどが挙げられる。感情訴求としては、、例として「自信」という概念を言い出そうとするREJOICEの広告が挙げられる。「自信」のシリーズには、「REJOICEケンカ篇」、「REJOICE教師篇」、「REJOICEコンダクター篇」がある。テレビ広告以外、「自信」という概念をめぐって、「REJOICE自信学院」、「いくつかのことに挑戦する」、「同じように自信を持つ」、「職場新入者」、「自分の自信を言ってください」などのキャンペーン活動を行うことを通して、「自信」という概念を演繹した。
広告の普及から見ると、テレビ広告において、P&Gは成功できる公式を有している。まず、消費者の注意を引くために、消費者の面している問題や悩みを指し示す。次に、速やかに広告の中で、解決法案を出す。それは、P&Gの製品である。
利益訴求と感情訴求を結びつくことを通して、P&Gは自分のブランド力、ブランドの文化的意義を高めた。
  
  表現
   模範を示すやり方を用いる。P&Gは、NIKEのように、有名人にブランドと結び付いて、広告の中には製品が出てこないやり方を用いるのではなく、製品と消費者を密接に関連させる広告を作る。P&Gの広告は、いつもその製品を使う一般の人を使って、素朴でみんなのよく知っている言葉で製品の特徴を紹介して、消費者に一つまたはいくつかの利益点を提供することを通して、理性的に消費者の心を動かす。

  テレビメディアの有効利用
テレビメディアは、計量的に評価すること及び視聴コストを計算することができる最も便利なメディアである。また、テレビメディアの視覚的効果は、製品の機能を十分に消費者に示せるから、P&Gの中国における広告宣伝の主要な手段となった。
テレビをつけると、毎日P&G製品の広告が見れる。P&Gは消費者の記憶曲線への研究を通して、「波型遁増方式」で、長期的に広告を放送するが、他のメーカー、例えばユニリーバは、製品の導入期及び販売の旺盛期が来る前に広告で宣伝を行う。日用清潔用品としては、一般家庭の日常消耗品で、常に買われるものだから、長期的な広告を通して、まず消費者にP&Gの製品を認識させる、その後は購買欲を引くことができる。遁増的な放送は、消費者の認識を強化することができるし、消費者のP&Gに対してのロイヤルティを高めることもできる。
  
  OAT
   OATはOFFAIRTESTの略で、P&Gは市場調査研究会社と長年の研究蓄積で形成され  たテレビ広告効果を測定する方法で、新しい広告の効果を保証するために放送する前に行われたテストのことである。その目的は、消費者の購買潜在力、広告への反応及び記憶を測定することを通して、新しい広告を出せるかどうかを評価すること、出せるならば、よりよい効果を収めるために、テストされた広告を改善できるところを検討することである。

   P&Gの広告宣伝は、テレビ、インターネット、雑誌を利用するだけではなく、一方、全国でイメージキャラクタを選ぶことや、大学で奨学金を設立することや、国家部門と公益事業をすることなどを通して、その製品の認知度を高める。同時に、農村市場を占領するためには、全国的な路上公演まで行った。都市部では、P&Gはスーパーやデパートでの製品の陳列に工夫を凝らしている。消費者の注意を引こうとして、陳列台の広いスペースを占めるようにした。

3.研究開発を基盤にした事業
  
  「我々の成功の源は、手ごろの価格ではっきりとした優位性を持つ製品を提供するこ
とにある。安くて品質のよい製品に導く方法は、他人よりはやい発明である。研究開発
は我々の革新及び事業の生命ラインである。」とP&G元CEOジョン・ペッパーはこう語
った。
 早くも1934年に、P&Gはアメリカで消費者研究機構を設立した。アメリカ工業業界
で真っ先に科学的分析方法を使って消費者の需要を調べる企業となった。70年代にな
ると、P&Gは始めてフリーダイヤル電話で消費者とコミュニケーションをとる企業と
なった。東の人々に合うような製品を研究するために、P&Gは日本で全世界最も大きい技術センターを設立して、アジアの消費者だけにサービスを提供する。新製品の研究開発だけではなく、製品の品質、調合指図書及びパケッジデザインの改善から消費者を満足させる。P&Gの多くの製品は、毎年少なくとも一回、改良される。世界はじめての高効果合成洗濯用洗剤―Tideが1946年に出された以来、今まで60回以上の改良は行われた。P&Gは日々激しくなる競争の中で、不敗の地に立つことができるのは、研究開発を通して絶えずに革新することは欠かさない要因の一つであろう。
 P&Gの研究センターにある83000以上の科学者たちは、心を込めて、P&G日用品帝国を建てている。彼らは人間性への配慮を持ちながら、消費者至上の理念で、実用さ、便利さ、快適さ、美しさの角度から、消費者に精彩あふれる生活を創るために力を尽くしている。ここで、中国消費者にとってなじみのあるシャンプブランドREJOICEを例として、P&Gは如何に絶えずに革新を求めるのを示したいと思う。
 
1989年秋、P&GはREJOICE「シャンプ・コンディションナー 2 in 1」を開発し、市場に出した。その売上数量は中国シャンプ市場の半分以上を占めた。1989年12月、中国市場でREJOICE 5ml 軽便パッケージを出した。1990年、REJOICEは中国におけるはじめての「ふけ取り 2 in 1」シャンプを出した。1996年12月、中国でモイストスムースケアのできる2 in 1シャンプを市場に出した。2000年3月、REJOICEは中国消費者のためにツルドクダミ黒髪2 in 1シャンプを開発。2003年9月、1分間コンディションナーエキスを出した。2003年10月、REJOICEは全面的に新しくなった。2004年8月、全面的に新しくなったREJOICEは発売された。2005年4月、若者向けのフルーツエキスシリーズを出した。

たゆまない努力と新商品の研究開発は競争の激しい中国シャンプ市場におけるREJOICEの高い占有率を保ってきた。REJOICEと同時に、中国消費者を満足させるために、Head & Shoulder、PANTENE、VSなど多数のシャンプ、コンディションナー製品を開発した。これは171年以来、P&Gは「高品質・安全・安心」の代名詞になった理由であろう。

4.企業公民として義務を果たす
  
  中国進出して以来20年、P&Gは中国で優秀な企業公民の役を演じた。中国の各公益事業への寄付金の総額は6000万元を超えて、中国の教育、衛生、救済に使われてきた。1996-2005年、P&Gは「希望プロジェクト」に累計2400万元を寄付して、全国27カ省、自治区で100の「希望小学校」を建てた。中国にある多国籍企業の中で、最も多い「希望小学校」を建てた企業である。1998年4月、P&G元CEOが中国に訪問したときに、清華大学に1070万元を寄付して、最も先進的な実験器械を導入して、学校の実験施設を完備させた。同時に中・小学校の青春期健康教育の為に、中国教育部に700万元を寄付した。公益活動を通して、P&Gは企業の利潤を高めようとする同時に相応の社会的責任をも履行して、利益関係者の満足度に注意を払うことによって、より高い賞賛と知名度を得ることができた。

表11.中国におけるP&Gの主な寄付活動
西暦 主な寄付活動
1991年11月 洪水被害を受けた中国華東地区に100万元を寄付  
世界初の女子サッカーワールドカップをサポート
1996年8月 「希望プロジェクト」に200万元を寄付、中国で13の「宝潔希望小学校」を建設
1997年8月 「希望プロジェクト」に500万元を寄付、中国で30の「宝潔希望小学校」を建設
1998年4月 「パンダ愛心プロジェクト」をスタート、野生動物保護基金に129万元を寄付
中国教育部に700万元を寄付
1998年4月15日 清華大学に1070万元を寄付、学校の科学研究をサポート
1998年8月6日 「希望プロジェクト」に500万元を寄付、27の「宝潔希望小学校」を建設
1998年12月18日 P&G中国エリアCEO (Dimitri Panayotopoulos)は広州市政府に「広州市栄誉市民」の称号を授けられた
1999年 天津世界体操チャンピオンに100万元賛助
2000年10月20日 P&G製品Pampers(パンパース)は中国優生優育協会「揺りかごプロジェクト」に200万元寄付、「揺りかごプロジェクト・乳幼児保健ABCプロジェクト」を共同スタート
2000年10月21日 P&G製品Safeguardは中国衛生部に200万元寄付、「住宅地健康教育」活動をサポート
2005年 「宝潔希望小学校」の数は100に達し、中国における外資企業の中、「希望小学校」を有する最も数の多い企業となった
 出所):P&G中国ホームページ
  

終わりに

 1988年8月18日、当時の広州石鹸工場と合資して、広州宝潔有限会社を設立して以来、P&Gは中国と一緒に成長しながら、世界に注目される著しい業績を遂げた。2008年時点では、中国におけるP&Gの投資総額は10億ドルとなって、年間売上高は30億ドルに達している。中国に進出して以来の20年間で、P&Gは日用品の帝国を築き上げた。その中、1998年-2001年のピンチ期を経験したが、後の戦略調整によって、ユニリーバなどの強いライバルに奪われた失地をすぐに回復した。P&Gは中国市場において成功したと言えるのであろう。
 P&Gの中国市場における成功は、売上の成長、市場占有率の拡大、事業の発展などに表されているだけではなく、最も重要なのは、中国の公益事業に力を尽くすことや、中国の国内日用品企業の模範となったことなどであろう。P&Gの中国進出は我々にそれまでのない高品質の製品をもたらしただけではなく、中国民族企業に成功の経験や模範の力をももってきたのであろう。激しい競争の中に、中国民族企業も日増しに強くなりつつある。
 一方、より多くの外国企業は中国市場に関心をもつようになることにつれて、P&Gにとって中国市場における成果を保つことはより難しくなるのであろう。P&Gの中国市場での歩みはまだまだ続くのであろう。





参考文献:

1. P&G中国ホームページ、http://www.pg.com.cn/
2. P&Gホームページ、http://www.pg.com/
3. P&G日本ホームページ、http://jp.pg.com/
4. 王分棉(中国対外経済貿易大学国際商学院)、《宝洁:日用品帝国的沉与浮》(「宝潔:日用品帝国の浮き沈み」、http://business.sohu.com/20050926/n240455956.shtml
5. 中国计量学院零点调查协会(中国計量学院零点調査協会)、《案例分析:宝洁 日用品帝国的沉与浮》(「ケーススダディー:宝潔 日用品帝国の浮き沈み」)、http://www.lddc2003.com/html/data/report/20061221/349.html
6. ウィキペディア、「プロクター・アンド・ギャンブル」、http://ja.wikipedia.org/
7. ウィキペディア、「中華人民共和国の経済」、http://ja.wikipedia.org/
8. ウィキペディア、「改革開放」、http://ja.wikipedia.org/
9. 周涛、中国管理传播网(中国管理メディアネット)、《宝洁的方向在哪里?解读和黄卖掉宝洁》(「宝潔の方向はどこにあるか、和記黄埔は宝潔を売るのを解読する」)、http://www.mie168.com/manage/2005-04/74299.htm
10. ショーチャイナネット、中国経済チャンネル、《百姓经济生活的十大变化》(「国民経済生活の十大変化」)、http://www.showchina.org/ zgjbqkxl/zgjj/200709/t126078.htm
11. 中国化妆品网(中国化粧品ネット)、《宝洁:海飞丝如何打入早期中国市场》(「宝潔:Head & Shoulderは如何に早期の中国市場に入ったのか」)、
http://news.c2cc.cn/market/data/200811/406150.htm
12. 呉敬璉(中国社会科学院大学院教授、国務院発展研究センター研究員)、「改革の成果をもたらした経済学の進歩」、
http://www.rieti.go.jp/users/china-tr/jp/021224gakusya.htm
13. 「中華人民共和国商業年鑑」
14. 中華人民共和国国家統計局ホームページ、「統計知識」、「中国統計年鑑」


『経営革命の構造』への感想

18世紀後半にイギリスから始まった技術革新はイギリス全体の産業構造を変化しただけでなく、世界にも大きな影響を与える。イギリスの機械制工業の先駆は繊維工業である。繊維工業における紡績機や織機などの発明は自然の力域を出ていない。蒸気機関の出現は自然以外の強大な力を人工的に作り出す。技術の革新はビジネスチャンスとして、事業を展開すれば、ベストです。これは産業革命の重要な一環になる。本の中に、蒸気機関の発明者ジェームズ・ワットと事業家ジョン・ロウバックの結びつけは工業界を変容した。イギリスの技術革新は生産の原動力を機械に変わって、生産能力を大きくアップした。大量生産と大量販売の実現もできる。企業業の規模は拡大した。企業の経営管理、経営組織などの経営構造を変化しなければいけない。18世紀のイギリス事業家ボウルトンは新技術をビジネスチャンスとして、企業規模を拡大した。ただし、経営不振の原因で失敗になった。だから、産業革命は、ただの技術変革だけではなく、経営構造の変革も含まれる。
イギリスの産業革命は確かに経営方面に大きな変化をもたらす。ただし、経営組織の問題また存在するから、経営組織に関する新たな革命が必要であり、それは次なる「アメリカ時代」を向えてくる。アメリカの経営革命はビック・ビジネスと呼ばれる巨大組織である。この巨大組織は従来の組織に対して単に規模が大きくなったということだけでなく、組織や経営のあり方に質的な変更をもたらした。アメリカはイギリスから独立し、未開拓の領土を拡張して多数の移民を受け入れながら急成長を遂げた。しかし、東部、南部、中西部はそれぞれ分離分断されたような状態になる。この三つの地域は一つの市場を形成するのは鉄道と電信の発達である。だから、安価な輸送手段と迅速な情報手段はアメリカのビッグ・ビジネス形成の不可欠な要素になる。アメリカにおける鉄道の発達は、単に国内市場の創出や企業活動の基盤形成を整備したばかりでなく、鉄道会社自身が現代企業の組織モデルを提供したことが重要である。鉄道会社は交通事故の防止は重要な問題になる。当時のアメリカのウェスタン鉄道は交通事故を防止するために、適切な管理の必要性を認識させ組織改革を行った。その後、言いたいのは鉄道の距離問題である。鉄道の距離が長いから操業費が高いというわけではなく、巨大で複雑な運行業務を効率よく運営する内部組織の未発達が経営悪化を招いたのである。事故防止と距離問題から見ると、アメリカにおけるビック・ビジネスの出現は技術と組織を結び付けて、対応する。膨大な資金を必要とした鉄道は、金融事業の発達をもたらす。1850 年代には、ヨーロッパから大量の資金がアメリカの鉄道企業に流入した。ニーズに応えるため、ニューヨーク証券取引所が制度として定着する。鉄道投資を通じて株式市場や金融機関が完成されることができた。このような金融業の発達がアメリカにおける現代企業台頭の基本的条件を整備した。
アメリカの組織改革は規模経済を達成するためである。企業の規模を拡大すると、生産から販売までのプロセスの中に、財の流れを有効的に計画と調整できれば、規模経済の実現できる。企業の規模拡大と同時に単一職能の組織から複雑職能を備えた組織を発展する。デュポン社のアルフレッド・デュポンは二人のまた従兄弟とともに当時の最先端企業の戦略と組織を研究し、成果を経営に導入した。こうしてできあがった組織は複数職能別組織であり、それを管理する必要性から経営にトップマネジメント、ミドルマネジメントの確立をもたらした。
第二次大戦後の日本経済はまさに苦難の時代であった。戦後初の経済白書は「政府も赤字、企業も赤字、家計も赤字」と苦境を記している。金も物資も設備もない時代に官産学が連携し、この克服を試みた。マルクス主義の東大教授、有沢広己の提唱した傾斜生産方式の採用である。これは数少ない資金と資材を鉄鋼や石炭などの重要産業部門に集中させる方式である。鉄鋼が重要産業と指定されたため、西山弥太郎の才能が発揮される土壌が生まれた。西山弥太郎は鉄鋼業の驚異的発展、ひいては高度経済成長の基礎を築いた人物だ。西山は川崎製鉄社長として、当時誰も考えなかった発想と断固たる決断力を持って鉄鋼の大増産に踏み切った。これが戦後日本の国際競争力を高めるきっかけになったのである。オイルショック後、トヨタ生産方式は、トヨタにもともとあったジャスト・イン・タイムと自働化という2つの基本思想を柱に、大野耐一を中心とした人々が製造現場の生産性向上に取り組む中でさまざまな試行錯誤を経て、具現化したものである。この生産方式は、一般に「かんばん」「多能工」「多工程持ち」「省人化」「少人化」「アンドン」などの各手法を組み合わせた生産方法と見なされることが多いが、それは表面的なもので「絶え間ない改善の精神」「改善を行う際のものの見方・考え方」こそがトヨタ生産方式である――と説明されることもある(ものの見方を「トヨタ式」と称することが多くなっている)。実際、トヨタ生産方式の各手法は作りすぎや在庫などの、いわゆる“7つのムダ”を徹底的に排除するための仕掛けだが、トヨタの真の強さはこうした既存の手法に頼り切るのではなく、まだ見つかっていないムダや問題を常に探し続けるというマインドを全社員が持っていることだと指摘される。
第5章は、「シリコンバレーモデルの登場」と題して、現在、世界で進む情報革命とそれに伴う、社会に対してのアプローチの変化について述べている。本によると、現在のコンピュータ・ネットワーク技術の進化とともに、ニーズの多様化によって、市場にどのような規格を出すかはあらかじめ把握できるものではなく、とりあえず、さまざまな商品・サービスを出してみて、その中で事実上の標準を目指すというものとなっているとのことだ。そして、このように「必ず」成功するという保障がなくなったため、従来の資金調達方法では支持できなくなり、そのような中でのベンチャーキャピタルの登場を待っていた。シリコンバレーモデルは、広義の情報産業あるいは知識集約産業でとりわけ有効であることが実証されてきた。また、多数の会社と幅広い連携を特徴とするそのモデルは、それ自体コンピュータ・ネットワーク技術の進化と不可分に結び付けている。
この本は、新技術の導入と、それに伴う社会変革、経営システムの変革について、イギリスの産業革命からはじめて、現在のシリコンバレーまで、21世紀を展望する経営史である。新技術の発明が社会に及ぼす影響について、そして経営システムの変化が技術におよぼす影響について、「技術」と「社会」は、技術をどのように社会に伝えていくのかという「経営システム」を仲介として相互に影響をしあっていると思う。この本を読んでから、イノベーションという概念を深く理解した。イノベーションはただの技術革新だけでなく、本の中に書いた通り(1)新しい製品の導入、(2)新しい生産手段の導入、(3)新しいマーケットの発見、(4)新しい原料や半製品の導入、(5)新しい組織の導入という五つの指標である。この五つの指標はすべて新技術がもたらす影響であると思う。企業に対して、新技術の誕生はビジネスチャンスとして、製品化して、社会に提供する。こうのようなプロセスの中に、販売やマーケティング、資金調達、人材育成、生産手段の導入、組織の変革、経営管理などを考えなければいけない。イノベーションは経済のあらゆる面に生じた変革も可能になる。イギリスの蒸気機関の発明は有力な証拠になる。この本を読むと大変勉強になりました。企業家志望の方はぜひ読んでください。

物流とは何か

1.物流の歴史
経済活動は、生産活動、流通活動、消費活動からなるが、農業や工業によって生産さ
た農産品や工業製品は、流通活動により、製造業や農業の生産者から消費者に届けられる。この流通活動は、農産品や工業製造品の売買等の商取引と、農産品や工業製品の実際の保管・配送業務に分けられ、商取引は商流、保管・配送業務は物流と呼ばれている。
 以上のように、物流は、農産品や工業品の保管・配送に関わる活動であり、古くから、地域間の陸上の交易、海路を使った貿易の形で行われてきた。陸路では中国とヨーロッパを結んだシルクロードや地中海やインド洋を経由した船による海上交易が思い浮かぶ。
 古代から地域間の物の交換により時の権利者や商人は莫大な利益を得てきたが、交換を確実に行うためには、物流を握ることが重要であった。
 物流ルートの形成によりその覇権を握る国家が登場する一方で、国家間の紛争を避けるために新たな物流ルートが生まれ、急速に発展する都市や国が生じた場合もあった。例えば、6世紀のササン朝ペルシアと東ローマ帝国の抗争が、陸路による東西交易を衰退させ、安全な紅海を経て地中海に至る新たなアラビアン物流ルートを生んだ。その結果、中継地であったメッカ、メジナが貿易の中心になり、力を持つようになると、それらの地域において新宗教として生まれたイスラム今日が広範に世界に伝播するようになった。
2.日本で物流定義の変遷
 次に、日本における物流の用語について検討してみよう。
斉藤(1999)によれば、日本では、物流は1956年の日本生産性本部の米国視察団「物流技術専門視察団」が、その当時、米国で使われていたPhysicak Distributionを日本に紹介したことが始まりである。1960年代末には、運輸白書などで、「物流」が言葉として正式に利用されるようになり、物資の流通の近代化が、国際競争力の向上と物価安定に重要なことが示され、物流は、物流は、流通分野の専門用語として使われ始めた。1960年代前半には、生産・流通活動における効率化が進み、物流費が増大していたため、物流面での効率化が次の課題として浮上してきたのである。
 1965年の統計審議会流通統計部会は、「物資流通消費に関する統計の整備について」を行政管理庁に答申した。その中で、「流通活動とは、物理的ないし社会的な“ものの流れ”に関するものをいう。ものの流れという場合の“もの”とは有形・無形を問わず、一切の経済財を指すものとし・・・・有形の諸物資と情報を考える」と定義づけ、「物的流通なものの流れに関する経済活動であり、情報活動が含まれる」としている。
 次いで、1966年の産業構造審議会答申書「物的流通の基本政策について」によれば、物流は、以下のように定義された。「流通とは、生産者より消費者に財貨およびサービスを移転させ、場所・時間および所有の効用を創造する活動をいい、また、流通部門とはこれらの諸活動を担当する事業体の総称である。物的流通というのは、有形・無形も物財の供給者から需要者へ至る1実物的(Physical)流れのことであって、具体的には包装、荷役、輸送、保管および通信の諸活動を指している。」と記述され、包装、荷役、輸送、保管及び通信の諸活動が物流の中身とされた。当時わが国では、これにふさわしい敵訳がないため、“流通技術”と呼んでいたが、時とともにP.D.,物理的流通あるいは、物的流通とされ、1991年第4版)に載せられるまでには30年の月日を要した。



 高度成長が続いた1960年代末から1970年代には、大量の物資の輸送の必要性から、物流の重要性が企業に大きく認識されるようになり、物流を管理する独立の部門も設置されるようになった。
 この時代は、効率化を進めるために、物流設備を整備する動きが強まり、国鉄ではコンテナ輸送が開始され、企業では立体の自動倉庫やフォークリフト等保管・荷役機器の利用も盛んになった。さらに、1973年にはオイルショックが起こり、物流部門にも効率性が求められるようになった。さらに、1973年にはオイルショックが起こり、物流部門にも効率性が求められるようになった。さらに、パレットやコンテナに荷物をまとめ、戸口から戸口までまとめて輸送するユニットロード・システム(Unit Load System)が宣伝されるようになったのもこのころである。物流費が、製造費の中に埋れていたため、費用として、正確に積算することが求められるようになった。
 1985年には、JIS(日本工業規格)により、物流は、「物資を供給者から需要者へ物理的に移動する過程の活動をいい、一般的には、輸送、保管、荷役、包装など、及びそれらに伴う情報の諸活動からなる」と定義づけられた。1980年代には、戦略的な物流が唱えられるようになった。大企業を中心に系列取引を強化し、自社の流通ルートを強めようとする動きが生まれ、情報技術を利用した物流効率化が進んできたのもこの頃である。
日本では、陸・海・空の物流諸団体を束ねる(社)日本物流団体連合会が1991年に設立された。また、日本物的流通協会(1970年設立、1991年に日本ロジスティクスシステム協会に改称)と日本物流管理協儀会(1970年設立)が統合され、1992年に(社)日本ロジスティクス協会が設立された。その日本ロジスティクスシステム協会では、ロジスティクスを「経済活動において、物資流通の円滑化を実現するため、調達・生産・販売と連動して、輸送、保管、包装等を総合的に管理する機能」としている。JIS(日本工業規格)が、物流活動として、例示していた「輸送、保管、荷役、包装など、およびそれらに伴う情報の諸活動」」に比較すると「情報の諸活動」が欠落しているが「総合的に管理する」の中にその機能がが読み取れる。
日本ロジスティクス協会の「調達・生産・販売と連動して」という言葉に後のサプライチェーン・マネジメントにつながる概念が加わっており、JISの物流の定義の中の「物理的に移動する過程の活動」との考え方に大きな差異が見られる。ロジスティクスには、製造業や小売・卸売業との連動活動が含まれているのである。これは、1990年代には、ジャストインタイムでの生産・販売体制が情報技術の進展とともに求められるようになったからである。
 物流を生産・販売を一体化する重要なツールとして企業が重視してきたためであり、従来の「物流」という用語ではなく、「ロジスティクス」という用語に革新性を表そうとしたのである。米国に遅れること約10年、1990年代半ばに、日本ではロジスティクスが物流という言葉にとって代わるようになってきた。
 阿保(1992)は、物的流通システムは物的流通部門の統合であり、その上位の機能としてのロジスティクスシステムは購買部門、製造部門および物的流通部門の統合により可能としている。
 ロジスティクスは、物流部門と他の部門の統合、連動により、物資流通を円滑化する経済活動と捉えることができる。
 しかし、日本の物流の現場では、物流とロジスティクスの用語区分は明確に行われておらず、物流という言葉が多用されている。日本では、流通に関する物の移動の個別的技術について1960年代半ばに米国で使用されていたPhysical Distributionを翻訳し、「物流」という用語ができたが、その用語を変えず、米国のロジスティクスの概念に踏み込んだ包括的な物流サービスまでを含めて、物流と呼んでいることが多くなっているが現状である。
(2)米国で物流定義の変遷
1920年代の不況期の米国で、物流(Physical Distribution)はマーケティングの一要素として研究対象にしたのが始まりである。1940年代に米国マーケティング協会が、Physical Distributionは生産地から消費地点までの商品の移動とハンドリングを意味した。それまでは、マーケティングの一部として捉えていた。
 1950年代大学において物流の研究が始まり、1960年代に、流通活動を「コスト削減の最後のフロンティア」と指摘し、物流に対する関心が産業界で高まった。1970年代前半には、米国の企業経営において、物流(Physical Distribution)の重要性がかなり、認識されはじめ、この頃の米国マーケティング協会のPhysical Distributionの定義は、「生産から消費または利用に至るまでの財貨の移動および取り扱いを管理すること」であり、抽象的な捉え方であった。
 1970年代の後半から80年代の始めにかけて、米国では、Physical Distributionに変えて、ロジスティクスLogisticsという概念が生まれて来た。もともとロジスティクス(Logistics)という概念は、フランス語が由来で、宿営、又は、軍隊での兵站補給を意味していた用語が、米国では、第2次大戦後、1950から60年代にかけて、軍で使われていた用語が、民間企業でも物流に関するビジネス用語として使われるようになっていた。物流の近代的システムかが進められ、バワーソックスは、調達物流、販売物流を包括、統合管理するものとしてロジスティクスの概念を唱えた。
 1970年代後半の2度にわたるオイルショックにより、米国でも大量生産、輸出システムを改革する必要性が生じていた。加えて、1980年のトラック輸送産業の規制緩和によって、物流業者も激しい競争に勝ち抜く、新しい発想の物流システムが必要となっていた。
 1984年に全米物流管理協議会(NCPDM)が自ら、米国ロジスティクス・マネジメント協議会(CLM)へと名称変更を行い、正式にロジスティクスという言葉を定義した。ロジスティクスは、「顧客のニーズに適合させるため、原材料・半製品、完成品ならびにその関連情報の発生地点から消費地点に至るまでのフローと保管を、効果的かつコスト効果があるように計画、実施、統制することである。この定義は、入出苛、社外での移動を含む」されている。
 それまでは、輸送、保管、在庫管理がばらばらに考えられていたが、総合的に物流を考えていこうとするのが、ロジスティクスの考えである。1990年頃にはサプライチェーンマネジメント(SCM)が生産流通活動に導入され、さらに高度なロジスティクスが必要となっている。

日本における物流の概念
1950年代から70年代「物的流通というのは、有形・無形の物財の供給者から需要者へ至る実物的(Physic)な流れのことであって、具体的には包装、荷役、輸送、保管、および通信の諸活動を指している。」産業構造審議会と答申書
1980年代 「物資を供給者から需要者へ物理的に移動する過程の活動をいい、一般的には、輸送、保管、荷役、包装なだ、およびそれらに伴う情報の諸活動からなる」JIS(日本工業規格
1990年代から現代 物流からロジスティクスへの概念変化「経済活動において、物資流通の円滑化を実現するため、調達・生産・販売と連動して、輸送、保管、包装等を総合的に管理する機能」(社)日本ロジスティクスシステム協会

   

グリーン物流による環境物流の将来

1、はじめ
今、世界中でたくさんのモノが生産され、流通する場が増え、飛行機やトラック等交通手段の発達、サービス、インフラの充実なってきました。ところが、これらの過程で、地球温暖化、交通渋滞、大気汚染など、環境問題は増やして大きな社会問題となっています。物流において、輸送手段は欠かせないものであるが、同時に温室効果ガスの一つである二酸化炭素を排出するという側面も持っています。特に、トラック輸送の環境問題への対応は社会的責任を負った大きな課題です。2005年の京都議定書の発効を背景に、環境負荷の少ない物流システムの構築、いわゆるグリーン物流の推進が課題となっています。

2、グリーン物流の定義
 グリーン物流の定義について、国土交通省は、2006年に策定した「CSRの見地からのグリーン物流推進企業マニュアル」の中で、狭い意味と広い意味の両方の定義を紹介しています。それによると、狭い意味のグリーン物流は、京都議定書を遵守する観点から、温室効果ガス、特に二酸化炭素を低減させる物流であります。一方、広い意味のグリーン物流については、まず、「グリーン」について考えると、対象とするものは、何も二酸化炭素(CO2)だけではなく、窒素酸化物(NOX)、硫黄酸化物(SOX)も対象となるべきだし、粒子状物質(PM)も対象となるべきです。また、「物流」に関して考えると、単に「物を運ぶ」という行為についてのみに着目せずに、「物流」を「物を運ぶ」システム全体として捉え、組織的な対応や、人材の育成、事業所内での取り組みや、地域社会との共生をも対象とすべきです。

3、グリーンロジスティクス
物流にともなう環境負荷を低減するため、グリーンロジスティクスを推進しています。グリーンロジスティクスとは、調達、生産、流通、使用・消費、回収・再生資源化という製品・サービスの供給活動の全工程(サプライチェーン)で発生する環境負荷を、可能な限りコスト・効率を犠牲にすることなく減少させる物流体系を指します。
グリーンロジスティクスの具体的な取り組み分野は、①省エネ・CO2 排出削減、②資源循環推進があり、前者を実現する手段は、(i)燃費・CO2 排出原単位改善、(ii)走行距離削減、(iii)積載率向上となる。上記②を実現するためには、リデュース・リユース・リサイクルの3R の手法を活用することになにます。
燃料費を改善すするために、燃料ロスを防ぐ運転方法である「エコドライブ」を普及しています。「エコドライブ」とはアイドリングをしない、急な発進・加速・減速をしない、無駄な荷物を積まないなどを実行することにより、消費燃料を節約し、二酸化炭素の排出を削減するため、運転の工夫で燃費を改善しようとするものです。大きな設備投資を必要とせず、一人ひとりのドライバーの心がけだけで、燃費とコストを改善できる優れた取組みといえます。
企業物流の地球温暖化対策は、トラック輸送に焦点をあてる必要があるゆえんです。距離が短縮できれば、使用する燃料が減り、CO2も減ります長距離輸送の場合は、鉄道や船など燃費のよい輸送方法への転換も有効です。トラックから別の輸送方法(モード)へ変えるという意味から、「モーダルシフト」と呼ばれています。トラックから船に変えればCO2は1/4 に、鉄道にすれば1/8まで減らせます。また、モーダルシフトすれば、輸送距離が長くなるほど、トラック輸送よりもコストが安価になり、とくに輸送距離が500kmを越えると、かなり有利になります。
交通問題の視点から都市内物流を考えれば、りデュースの視点から環境対策を考えることになります。すなわち、物量そのものを削減できなくとも、渋滞に悪影響を与える駐車台数の削減、物流車の走行距離の短縮と積載率の向上が実現できれば、輸配送する物流車の台数や台キロやトンキロの削減が可能となり、環境対策につながります。
以上を踏まえるとグリーンロジスティクスは、これまで企業経営に浸透してきた物流部門のアウトソーシングである3PL(Third Party Logistics)の中で大規模に拡大していく可能性があります。3PL は単に物流サービスを提供するだけではなく、企業の物流業務全体もしくはかなりの部分を受託することになるため、環境負荷低減の観点から物流ネットワークの大規模な改革が可能であります。例えば、広範囲な物流拠点統合や他企業との物流共同化による大幅なCO2 削減などを実行しやすいと考えられます。

4、グリーン物流の取り組み
 グリーン物流は物流効率化の一類型と解されるため、企業のコスト削減につながるものも多数見受けられます。グリーン物流を進める上では、荷主企業の役割は重要であり、荷主企業や物流事業者のグリーン物流に関する行為に対する評価の観点から、金融機関の取り組みも重要であると考えます。

4.1、荷主企業の取り組み
荷主企業では、グリーン物流に対する取り組みを、ものづくりの段階から意識して行うことが可能でありその効果は大きいと言えます。荷主企業独自の取り組みとしては、以下のようなものがあります。
(1) グリーン調達
グリーン調達とは、企業などが製品の原材料・部品や事業活動に必要な資材やサービスなどを、部品メーカーなどのサプライヤーから調達するとき、環境への負担が少ないものから優先的に選択しようとすることです。これにより、供給側に環境負荷の少ない製品の開発を促すことにつながり、経済活動全体を変える可能性があります。環境マネジメントの規格であるISO14001の認証を取得した企業から優先して調達することを指すケースもあります。
●ソニーのグリーン調達
ソニーは、製品に搭載する原材料・部品については、2003年4月以降、ソニーがグリーンパートナーとして認定したサプライヤー様からのみ調達しています。グリーンパートナー認定は、サプライヤー様の開始・継続の前提です。認定後も2年毎に更新してもらいます。オフィス・事務用品などの調達にあたって、環境に配慮した製品(エコ商品)を優先的に選択します。ソニーグループでは、地域ごとに、オフィス・事務用品などの調達システムを共通化しています。このシステムには、多くの購入推奨品をカタログ化し、その中から調達する仕組みがあります。2006年9月時点で、日本では、このカタログの中に、「エコ商品」を約8,200点掲載し、グリーン調達を加速しています。
(2) 物流事業者のグリーン物流への理解
物流事業者のグリーン物流を促進するため、荷主企業が CSR の観点から物流事業者が行うグリーン物流について理解を示し、積極的にパートナーシップを組むことが重要であります。こういった取り組みは、環境負荷低減の実現の他に、自社の物流コスト削減の取り組みにもなるものであります。
(3) 商品のコンパクト化
商品の製造段階から物流を意識して、商品のコンパクト化を行うことで重量や荷姿を小さくし物流量の減量化を図ることが可能であります。
花王製品のコンパクト化
花王では、製品の性能を高めてコンパクト化することで、1回当たりの使用量を減らし、原材料、エネルギーの消費、使用後のごみの量を少なくしています。こうしたコンパクト化製品の代表が、1987年に発売した衣料用粉末洗剤の「アタック」です。いまやコンパクト洗剤は一般的になりましたが、現在の洗剤は、コンパクト化以前の洗剤と比べて、製品の重量で50%、箱の体積で70%削減されています(1回使用当たり)。2009年8月には、花王の従来の衣料用液体洗剤の濃度を2.5倍に高めた、衣料用超コンパクト液体洗剤「アタックNeo」を発売しました。濃縮化によって製品の重量を削減し、容器の体積も小さくできるため、輸送時のCO2の削減にもつながります。「アタックNeo」は従来の液体洗剤「アタック バイオジェル」に比べ商品重量で58%、容器の体積で60%削減されています。さらに「アタックNeo」は、新活性剤成分「アクアWライザー」配合技術により、すすぎが1回で済み、コンパクト化による環境負荷低減だけでなく、節水、節電によりご家庭での使用時のCO2排出削減にも貢献しています。

(4)荷主企業としてのCO2 削減計画の策定
企業全体の事業活動を通した CO2 排出量を見直し、数値目標を立てて削減に向けたアクションプランを実行することで確実な排出削減を実現することとなります。荷主企業では、物流だけではなく生産や販売の中でもCO2排出量を削減する取り組みが多くあり、これらを踏まえた計画を策定することが大きな効果を得ることとなります。
(5)荷主企業主導型による共同輸配送
商品特性として、温度帯などの輸送条件が他と異なる商品を製造するメーカーに有用な取り組みであります。工場⇔卸間の配送を共同化することにより、物流コストが削減できるだけでなく、環境負荷低減にもつながります。荷主企業が進める共同配送では、近年の特徴として、特に業界全体としての取り組みが目立ています。なかでも、菓子や紙文具業界、化粧品メーカーなどの共同配送は順調に拡大しています。また、多頻度小口配送、チルド・冷蔵などの定温配送など高品質の物流サービスが求められる分野においても共同配送が進められています。大手コンビ二エスストアでは、チルド・冷蔵などの定温食品の共同配送をすでに実施していますが、近年は日用雑貨、菓子といった常温帯での共同配送への取り組みが進んでいます。共同配送によって配送効率を高め、物流コストの削減を図ると同時に、環境負荷軽減への寄与を消費者に訴えています。いずれにしても個別企業における物流効率化の限界が、共同配送に踏み切る要因となっているものと考えられますが、今後は共同化の阻害要因となる商慣行、同業他社間の競争意識、システムの違いなどを乗り越え、さらに拡大していくであろう。

4.2、物流事業者の取り組み
物流事業者にとっては、「安全・安心」「環境」に配慮した取り組み自体がグリーン物流でありCSR を果たすことにつながります。物流事業者が事業活動を通じて取り組むことができるグリーン物流には、主に以下のようなものであります。
(1) 共同輸配送
複数のトラックを使って輸配送していたものを、一台のトラックにまとめて輸配送することにより、走行車両の台数削減につながり、温室効果ガス削減が図られ、環境負荷低減となります。これは、環境負荷低減の効果だけではなく、効率的な輸配送が実現されることから、企業のコスト削減にもつながる取り組みとなります。この共同輸配送の実現には、難易度のばらつきがあり、幹線輸送であればその実現は比較的容易であるが、消費者物流ではお届け時間の制約が厳しいため難易度が高くなります。
物流事業者の取り組みを見ると、九州全域での共同配送を行う協同組合のスカイネット物流、中四国地区の物流事業者で構成する企業集合体SOFTなど、中小物流事業者がグループ化して共同配送を行います。また、保冷医薬品分野で、北海道から九州までの全国にいたる共同輸配送ネットワークを築いている中央運輸(株)のように、専門分野に特化して共同配送へ取り組んでいます。これまで、物流事業者の共同配送への取り組みは必ずしも積極的でなく、また、異業種間を対象としたほうが共同化しやすく、そこに物流事業者の役割があると考えられてきた。
 ●東芝物流における共同配送
 東芝物流として共同配送として、他の電機物流子会社との幹線輸送における往復配送(ピンポイントの郵送)、地域における共同配送(面的な配送)を推進してきました。
 a 往復配送(ピンポイントの輸送)
 幹線輸送においては、往復配送により車両台数を削減し、配送コストの低減ならびに環境負荷の低減を図っています。
 往復配送の例として東芝物流とソニーサプライチェーンりゅ―ション(株)(以下、ソニーサプライチェーンりゅ―ション)で行っている共同配送について紹介する。往復共配について紹介する。往復共配は、東芝物流関西支店とソニーサプライチェーンりゅ―ション川崎間で2000年10月より実施されており、輸送する商品は、東芝物流は冷蔵庫、ソニーサプライチェーンりゅ―ション川崎は輸入テレビ、パソコンなどとなっています。具体的な輸送ルートは、東京―大阪間の輸送にJRコンテナを採用することで、環境問題にさらに配慮した形となっています。また、コンテナの側面に、それぞれ両者のロゴをいれることで、間接的環境への取り組みをPRしていることも興味深いです このような幹線共同輸送は、複数の電機物流会社間ですでに十数ルートが全国規模で行われており、今後も順次拡大する方向にあります。
 b 地域における共同配送(面的な配送)
 次に、地域における共同配送例として、東芝物流と(株)日立物流(以下、日立物流)が北陸地方で行っている共同配送について紹介します。
 図表1-3に、東芝物流と日立物流がおこなっている共同配送体制を示します。配送エリアは、富山、石川、福井の北陸であります。従来、東芝物流は、石川県内の拠点より、また日立物流は富山県ならびに愛知県の拠点より、それぞれ1次幹線配送、および各県は東芝がそれぞれ2次配送を担当し、相手先の家電商品を受託し配送を行っています。なお、福井県は外注先ターミナルに両社が1次幹線配送後、それぞれ各社が2次配送を行っています。共同配送を行った結果、車両削減効果として、1次幹線配送で以下が得られている。
 【車両削減効果】
 富山県(日立物流):   ▲2車
 石川県(東芝物流):   ▲2車
福井県(各社個別運営): ▲2車
         計 6車両 削減

図表1-3
(2) モーダルシフト
モーダルシフトは、幹線貨物輸送をトラックから鉄道や海運に転換することで、環境負荷をより小さくする輸送手段であります。モーダルシフトを推進するため、鉄道においては、より使いやすい貨物輸送の提供やお試しキャンペーンを実施するなどの取り組みを行っています。国内の貨物輸送をトラックから大量輸送機関である鉄道や船などに転換します。
日立物流モーダルシフト
日立物流は、企業の物流業務を一括して受託する3PL事業を中心に事業規模を拡大し、現在では、日立グループ以外の企業からの売り上げが60%を超えるまでになりました。当社では、幹線貨物輸送を機動力のあるトラックから、省エネ・低公害で大量輸送に優れた鉄道や船舶に切り替える「モーダルシフト」を推進しています。トラック輸送と上手に組み合わせることにより、輸送の効率化、物流コストの削減を図ると同時に、CO2排出量の削減、交通渋滞の緩和に努めています。モーダルシフトのほかにも、3PL拡大による更なる物流の効率化やアイドリングストップなどの省エネ運転、ハイブリッドトラックなど低公害・低燃費車の導入などを積極的に行い、荷主から選ばれる物流企業をめざしています。
(3) 荷主への働きかけ
環境にやさしい物流システムの構築は、荷主企業の協力があって初めて実現できる場合も多く、物流事業者側から荷主企業に対するそうした働きかけを行うことも一つの大きな取り組みであります。
(4) 低公害車の導入
現在、物流の手段として最も活躍しているのがトラックなどの運搬車であり、毎日たくさんの運搬車が日本中を走り回って物流の流れを形成しています。しかし、その反面では排気ガスの流出による環境破壊が起こっています。今、多くの企業ではこのような公害を減らすためにさまざまな取り組みをしています。その一つに低公害車の利用を促進する取り組みがあり、たくさんの企業がこの低公害車の開発に取り掛かっています。物流事業者の商売道具であるトラックに、天然ガス自動車CNG 車)、ハイブリッド自動車等の二酸化炭素や有害物質の排出を抑えた車両を導入します。日々走行する車両の環境負荷低減を図ることが可能となります。2003年10月から東京都など地方自治体が旧式のディーゼル車の走行規制を導入するなど、ディーゼル排ガス規制も強化され世間的にも低公害車が注目されてきています。
●セブン‐イレブン低公害車の導入
セブン‐イレブンは低公害車としての効果が高い天然ガス自動車の導入を拡大しています。1998年より導入している天然ガス自動車は、光化学スモッグ酸性雨の原因となる窒素酸化物(NOx)、一酸化炭素(CO)、炭化水素(HC)の排出が少なく、硫黄酸化物(SOx)を全く排出しません。しかし、天然ガススタンドが少なかったり、充填1回あたりの配送距離が短いなど、導入できる地区は限られているため、可能な地区で導入を進めています(図表1-4)
(5) デジタル式タコグラフの導入
デジタコは、ドライバーの運転が記録されるものであり、速度や急加速、急減速、アイドリングがチェックされます。この導入により、ドライバー一人一人が環境にやさしい運転を意識するようになり、また安全運転にも寄与するものであります。環境にやさしい安全な運転は、燃費向上も図られることから、燃料消費量の削減につながり、企業のコスト削減にもつながります。
(6) 物流拠点の整理合理化
環境負荷低減を目指し、効率的な物流システムを構築するために、物流拠点の見直しを図り、分散した拠点を集約する等することで、無駄な走行を減らし、CO2 排出量を削減できます。これは、企業のコスト削減にもつながるものであります。
(7) サード・パーティー・ロジスティクス3PL)による合理化
3PL は、荷主企業から物流を一貫して請負い高品質なサービスを提供する。荷主企業は、物流コストの削減や環境負荷の低減を図ることを目的に、物流を3PL 事業者にアウトソーシングすることが近年多くなっています。
(8) エコ包装
商品や荷物の梱包は、大量の紙等を用い資源の無駄遣い、ゴミ増量の要因となっています。また、梱包資材は作る際にも再生・破棄する際にもCO2 を排出しています。梱包資材の再資源化や過剰包装を行わないことにより、ゴミの減量化、資源の有効利用を図ることが可能となり、環境対策の重要な取り組みと言えます。
●リコーグループによる循環型エコ包装
リコーでは、1994年にダンボール資源を節約した「エコ包装」を導入するなど、包装材の削減に積極的に取り組んできました。2001年には、何度も繰り返し使える樹脂製の包装材「循環型エコ包装」を初めて市場に投入しました。2010年度では、日本国内で出荷された複写機の約70%、全68機種中48機種に「循環型エコ包装」を利用しています。このほか、キズ防止用のラップのみを使った簡易包装で、製品を工場からお客様に直接お届けする活動も行っています。この簡易包装は、高速機などの一部の機種にされており、1台あたりの包装材質量を100kg以上削減することが可能となることから、順次適用地域を拡大する活動を展開しています。これらの取り組みによる包装材の削減効果は、年間約1280トンで、CO2に換算すると約1,680トンになります。
(9)輸配送システムの導入
 求車・求貨システム(QTIS)や配車支援システム等を導入・活用することは、帰り荷の確保や積載率の向上、車両稼動率の向上など、輸送効率向上が見込まれる取り組みであります。環境の観点からは、空走などの無駄を省くことができ、環境負荷低減を図れるだけでなく、同時にこれは、企業のコスト削減あるいは売上増加につながります。
 ●求車・求貨システムの導入による環境負荷の低減
 QTIS(求貨求車情報システム)の確立により、輸送車両1台あたりの積載率を向上させ、輸送貨物1トンあたりのCO2排出量を47.3kgから42kgに、11.2%低減しました。この取り組みの結果、年間約6,490トン(2001年比)のCO2を削減しました。輸送車両に換算すると、年間約17,700台の削減に相当します。今後もさらなる輸送の効率化に向けて取り組んでいきます。

  この上のデータをみると、やはり求車求貨システムの普及は、環境負荷低減に向けた取り組みとして見た場合、非常に重要な活動であるといえます。しかしながら、昨今の求車求貨システム・ブームが去った後の状況を考えると、まず第1に、企業あるいは協同組合自体がビジネスモデルとして成り立つ仕組みを確立できるかにかかっています。ネット・オークションによる「オープン型」のシステムでは多少無理があるため、基本的には「クローズ型」の求車求貨システムに、配車計画システムを組み合わせるなどの試みによる普及が今後考えられます。
(10)顧客との環境コミュニケーションの実践
環境に配慮して製造した商品であることの表示や、環境に配慮した物流で運ばれた商品・荷物であることの表示を行うことは、顧客に対するアピールであり、また顧客がそういった商品を選択する機会を提供する取り組みであります。
このほかのグリーン物流の取り組みには、会社組織によるものとして、(1) ISOなどの認証取得、(2) 戦略や計画の策定、(3) 環境・CSR報告書の作成、(4) 温室効果ガス排出量の常時監視、(5) 法令の遵守などがある。また、事業所内での取り組みとして、(1) ゴミの分別、リサイクル、減量化など3Rの推進、(2) 再資源化の促進、(3) 省エネルギー、(4) 社内コミュニケーションの活用などが、人材育成面では、(1) 省エネや安全運転の指導、(2) 環境教育などがあります。さらに、地域社会における取り組みとして、(1) 清掃活動、(2) 事業所の緑化や植林、(3) 環境教育などを行っている企業もあります。
今後、物流事業者だけでなく、さまざまな分野の事業者にグリーン物流の取り組みが広がっていくことが期待されます。また、大手物流会社だけでなく、中小の運送業者へいかに普及させるかが課題です。

4.3金融機関の取り組み
金融機関等における取り組みは以下のものでああります。
(1) 環境配慮経営を行う企業への低利融資
環境配慮経営を行う企業への低利融資とは、環境格付けを実施し、格付け結果に基づいた低利融資を実施する(金融のグリーン化)ものであります。
(2) エコファンドなどのSRI の進展
CSR を実践している企業をSRI(社会的責任投資)を通じて評価する動きの一つとして、エコファンド(環境経営推進企業を構成銘柄とする投資信託の新商品)があります。
(3) 環境格付けに当っての物流面での取り組み評価
CSR を積極的に実践している企業を評価する取り組みとして、有力メディアによる評価も忘れてはなりません。

5、グリーン物流から生み出すニュービジネス
 グリーン物流は、ロジスティクスの過程における環境汚染、環境負荷の低減を目指し、「低炭素社会」、「循環型社会」の構築に向けて、環境や社会への取り組みを行うことに伴い、新たなビジネスを生み出すことができればベストです。
 今日の私たちの生活は、家庭を例にとれば、冷暖房や、給湯、調理、洗濯など、どれひとつ取っても、電気やガスなど何らかのエネルギー消費抜きには成り立たなくなっている。テレビやパソコンを使ったり、外出する際には自動車や電車に乗ったりと、省エネに努めてもどうしても減らせないCO2排出量がある。企業活動においても事情は同じである。この温室効果である二酸化炭素の排出を相殺するカーボンオフセットというビジネスチャンスは現在の社会に生み出しました。カーボン・オフセットとは、自分や自社が排出しているCO2のうち、どうしても削減できない排出量(の全部または一部)を、他の場所での排出削減・吸収活動に資金を提供したりすることによって、埋め合わせようという取組みであります。市場では、二酸化炭素やフロンなどの温室効果ガスが取引ができます。2005年に排出権取引市場を創設する方針を固めています。割り当ての範囲内に排出量を抑えられる企業などが排出権取引市場で余った分の権利を売り、反対に割り当ての範囲以上に排出しなければならない企業などが、その権利を買う取引のことができます。
 カーボン・オフセットというビジネスチャンスとともににグリーン物流を推進することで、付加価値を生み出すことが可能です。グリーン物流と企業戦略が良いサイクルをつくり、お互いが相乗効果を生み出せるようにする工夫が大切なのです。

6、まとめ
 グリーン物流は環境にやさしい物流システムのことであります。共同輸配送、モーダルシフト低公害車やデジタル式タコグラフの導入、輸配送システムの構築など、さまざまな手法があります。また、組織運営や人材育成、地域貢献などにおける取り組みも、広い意味のグリーン物流に含まれます。グリーン物流は、CO2や大気汚染物質の排出削減などの環境負荷低減効果だけでなく、輸配送の効率化によるコスト削減につながることや、企業の社会的責任(CSR)が普及していることなどを受けて、率先して取り組む事業者が増えています。2004年には、グリーン物流パートナーシップ会議が発足しました。関係機関による支援や補助制度もあります。グリーンロジスティクスとは、地球環境に優しいロジスティクスの意味で、 トラック等のCO2やNOx、SPM(浮遊粒子物質)の規制、騒音規制を始め、容器包装のリサイクル、 資源化可能の使用済み機器・部品のリサイクルなどを徹底するソーシャルロジスティクスの考え方であります。また、社会への貢献を最重要課題とし、物流資源を有効に活用して低コストでその目的の実現を図る戦略で、 共同化(アライアンス)もその有効な手法であります。